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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)7815号 判決

原告 和田安子

右訴訟代理人弁護士 安藤一二夫

同 岡田豊松

右訴訟復代理人弁護士 中津林

亡林先昭訴訟承継人

被告(不在者) 頼三淑

〈ほか二名〉

右三名法定代理人財産管理人 金山昭

右訴訟代理人弁護士 依田敬一郎

亡林先昭訴訟承継人

被告 中村京子

右法定代理人親権者 中村とみ

右訴訟代理人弁護士 瀬崎信三

主文

被告らは原告に対し別紙第一目録記載の土地につき、昭和三五年一〇月一七日付贈与契約に基く所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は、主文同旨の判決並びに、

予備的請求として、

被告らは原告に対し、別紙第一目録記載の土地につき昭和三五年一〇月一七日付死因贈与による所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告らの負担とする。との判決

を求め、

二、請求の原因として、

(一)  韓国人訴外林先昭(以下単に亡林という)は昭和三六年一〇月二〇日死亡し、被告らは同人を相続した。

(二)  亡林は別紙第二、第三目録記載の不動産を所有し、且つ第三目録記載の家屋内において「目白ビヤホール」なる飲食店を経営していたが、訴外木内光夫の紹介で昭和三四年一一月初頃原告と知合い、妻子は終戦後韓国に帰国して間もなく死亡し、単身で身寄としては東京に妹が一人居るだけであり是非結婚し将来原告の壻養子となって日本国籍を取得したいと執拗に申入れて来たので、原告は同月一九日頃から婚姻の意思をもって亡林と事実上の夫婦として前同所で同棲生活をなすに至った。

(三)  原告は、亡林から同年一二月一八日訴外山際徳三を介して別紙第二目録記載の土地家屋の贈与を受け、同人を媒酌人として昭和三五年三月二〇日両人は慣行的な儀式として町内の有力者を呼び盛大なる結婚披露をし、原告は同年五月九日右不動産につき贈与による所有権移転登記を取得した。

(四)  しかるに亡林が前記物件を原告に贈与してみたが惜しくなったことから同年七月頃より夫婦仲の円満を欠いたが原告は同年一〇月中旬亡林と訴外木内光夫同荻原要吉ら立会の下に左記の条件で融和し円満解決するところとなった。

(イ)  原告は亡林に対し、前記第二目録記載の物件を返還すること。

(ロ)  将来亡林と離婚する時は無条件に全財産を原告に贈与すること。

(ハ)  亡林が死亡したときは、全財産を原告に遺贈すること。

(ニ)  この契約を亡林は絶対に違反せざることを確約すること。

よって原告らは昭和三五年一〇月一七日右の契約を公正証書に作成したうえ、原告は直ちに別紙第二目録記載の不動産の権利証、印鑑証明書、実印及び委任状を亡林に交付したが、同人はその移転登記手続をそのままにしていた。

(五)  亡林は、同年一二月一〇日原告と合意のうえ、

前記不動産を訴外石井弘一郎に代金四五〇万円にて売却しその代金中から金二〇三万円を支出して同月一五日別紙第一目録記載の土地を買い受け、同月一六日に右所有権取得登記を有している。

(六)  亡林は病気療養のため宇都宮市岩曽町三九九番地訴外半田武一方に出向き一ヶ月ぐらい前記目白ビヤホールを休業し、昭和三六年八月三日再開し、三日、四日と営業したが右休業のため客足が少く、従って売上金が少なかったところへ先妻中村とみと亡林との間に出生した被告京子が突然亡林の家に訪問してくるや、亡林は「先妻中村とみは商売が上手であったが原告は商売が下手であるから客が来ない離婚しよう」と申して原告の頭部を突然殴打し頭部打撲傷脳震盪兼頭蓋内圧亢進症の全治二週間を要する重傷を負わしめ、原告は直ちに救急車により訴外高田南町病院に運ばれ入院し治療を受けたのであるが、亡林はその後も入院中の原告に対し何かと無根の理由を附して離婚を強いるので亡林には常に原告を殴打して暴行を加え、しかも離別したと称した先妻中村とみを自宅に連れ戻して原告と同居させる等従来より婚姻を継続し難い重大な事由があったため原告は同月八日已むなく離婚を承諾することにした。

(七)  よって、原告は昭和三五年一〇月一七日付契約に基き、亡林から別紙第一目録記載の土地の所有権を取得したので、亡林の相続人である被告らに対し右土地につき所有権に基く移転登記手続を求めるため本訴に及ぶ、

なお、予備的請求として、仮に原告と亡林との間において前述の事実上の離婚が成立していなかったとしても、亡林は原告に対し前同日付契約第三条により亡林の死亡したときはその全財産を遺贈することを約したので昭和三五年一〇月二〇日同人の死亡により原告は亡林の有していた全財産を遺贈により取得したのでその全財産のうち本件土地のみにつきこれが移転登記手続を求めると述べ、

三、被告主張の抗弁事実に対し、

(イ)  結婚当時亡林の本籍地に妻子が生存していたとの点は不知、

(ロ)  亡林は慢性酒精中毒により精神異常の状態にあり且つ同人が文盲であったから前記契約は無効であるとの点は否認。即ち、亡林は深酒を飲むと乱暴するが、平素は商才にたけ貯蓄心に富み戦後裸一貫で他人の土地上に第三目録記載の建物を建て前記飲食店を経営し、税金等も不払のうえ、相当の財産を有するに至ったもので、経済生活、取引生活面での事理分別は普通人をはるかに凌駕するものである。

(ハ)  前記契約が亡林の錯誤に基くものであるとの点は否認すると述べ、

四、原告の主張及び再抗弁、

原告が亡林と夫婦生活に入るに際しては、亡林は原告が結婚を承諾しないならば自殺すると自ら料理用の庖丁で自分の右拇指根部に切創を加え威圧的な挙動をもって原告に結婚を強要したものであり、当時同人は前述のごとく事実上単身であると言明し、また原告も当時亡林が中村とみと事実上の婚姻を継続しているのではないかと調査したが同人らは行方不明であったので亡林のいう通り独身であると信じて亡林と結婚し慣行的な儀式を挙げ婚姻の意思をもって同棲生活を続けていたのであるから内縁は有効である。

仮に、亡林には戸籍上では本国に妻子があったとしても、右の婚姻は事実上離婚している状態にあり、前記契約の公正証書には亡林と原告とは事実上の夫婦である旨明記され、亡林本人が公証人役場に出頭して署名捺印していることからも同人と原告との間の内縁関係は有効に成立していたのである。

と述べた。

五、被告ら訴訟代理人は原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、

六、被告頼三淑ら訴訟代理人は、

亡林が原告主張の日に死亡し、被告らが同人を相続したこと、亡林が別紙第二、第三目録記載の不動産を所有し且つ第三目録記載の家屋内において「目白ビヤホール」なる飲食店を経営していたこと、亡林は原告主張の頃訴外木内光夫の紹介で原告を知るようになり、昭和三五年五月九日別紙第二目録記載の物件が贈与名義で原告に所有権移転登記手続されたこと、原告主張の(四)の(イ)ないし(ニ)の内容を有する公正証書がつくられたが、右目録記載の物件が亡林名義に移転されないままであったこと、右目録記載の物件が訴外石井に売却せられ、原告主張のように亡林名義にて別紙第一目録記載の土地を買受け同年一二月一六日その旨の登記がなされたことはそれぞれ認めるが、原告の主張するような結婚披露がなされたかどうか、別紙第二目録記載の物件の売買価額がいくらであったか、原告主張の日に被告京子が亡林のところに訪問したかどうかは不知、その余の事実は全てこれを否認すると述べ、

事情として、訴外木内は原告に亡林には韓国に妻子がいることを話しており、原告はこれを知っているから亡林との同棲をもって事実上の夫婦ということはできない、また、原告主張の別紙第二日目録記載物件が原告名義にされたのは原告が亡林の印鑑、権利証、を持ち出し恣に登記をしたものであること、及び、亡林が原告を殴打したとの点は否認するが、仮に右の事実があっても入院する程重傷ではない。と述べ、

七、抗弁として、

原告と亡林との昭和三五年一〇月一七日付公正証書による契約は左記の理由により無効である。即ち、

(イ)  右契約は亡林と原告とが夫婦であることが前提となっているものであるところ、亡林には韓国に妻である被告頼三淑がいるのであるから両人等の同棲生活は婚姻でも内縁でもない単なる私通関係に過ぎない。

したがって、内縁関係の存在に基く本件契約はその前提を欠くから、右契約は何ら法律上の効力を有するものではない。

(ロ)  右契約は亡林が当時慢性酒精中毒により精神異常を来たしており且つ同人が文盲であるという無思慮に乗じてなされたものである。

(ハ)  別紙第二目録記載の物件は原告が恣に原告名義にしたものであって、亡林は右物件につき所有権移転登記がなされてしまった以上原告の所有に帰したものであると誤信し、これに基き前記契約を締結したのであるから法律行為の重要な部分に錯誤がある。と述べ、

八、被告中村京子訴訟代理人は、答弁及び同被告の主張として、

(イ)  別紙第二目録記載の物件が亡林の所有に属するものであるとの点は否認。即ち、被告中村の母中村とみは昭和二三年以来亡林と内縁の夫婦となり、原告主張の名義で飲食店を経営し、亡林が慢性酒精中毒症であったので同人との生活費その他一切の費用はとみの所得によって支弁された。従って、第二目録記載の土地、建物も右とみの所得金をもって買受けた同人の所有に属するものであって、ただ形式上、亡林の名義にしたに過ぎないからもとより亡林の所有に属するものでない。

(ロ)  しかるに原告と亡林が恣に右物件を売却してその代金をもって第一目録記載の土地を買入れこれを亡林名義としたものであるからとみが事実上の所有者である。

(ハ)  仮にそうでないとしても、原告は被告中村の母とみと亡林との関係を知悉しながら亡林と同棲するに至ったものであるから法律の保護に値する内縁関係ということはできず、また亡林は右のごとく意思能力を欠くものであるから、原告と亡林との間の有効な内縁関係の存在を前提とする昭和三五年一〇月一七日附の前記契約は効力を有せず、亡林の相続人として被告中村は原告に対し原告主張の所有権移転登記をなすべき義務を負うものではない。

と述べた。

九、証拠≪省略≫

理由

一、(1)亡林が昭和三六年一〇月二〇日に死亡し、被告らが同人を相続したこと、(2)亡林が別紙第二、第三目録記載の不動産を所有し且つ第三目録記載の家屋内において「目白ビヤホール」なる飲食店を経営していたこと、(3)亡林は原告主張の頃訴外木内光夫の紹介で原告を知るようになり、昭和三五年五月九日別紙第二目録記載の物件につき贈与名義で原告に所有権移転登記手続をしたこと、(4)原告主張の(四)の(イ)ないし(ニ)の内容を有する公正証書が作成されたが、右目録記載の物件が亡林名義に移転されないままであったこと、(5)右目録記載の物件が同年一二月一〇日頃訴外石井に売却せられ、原告主張のように別紙第一目録記載の土地を買受け同月一六日亡林名義で登記されたことについては、被告頼同林美津子同林紀子との間で争いがなく、また右(1)の事実は被告中村との間でも争いがなく(3)ないし(5)については被告中村はこれを明らかに争わないから自白したものとみなす。

二、そこで、別紙第二目録記載の物件が実質的にも亡林の所有に属していたかどうかにおいて判断する。

右目録記載の物件が亡林の所有に属することについては原告と被告中村を除く被告ら間については争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、亡林は昭和二三年か二四年頃から飲食店を経営し業務主として雇人を使いその経営に関連する諸般の取引、税金面の対策を担当して漸次蓄財し、本件物件を亡林自身の所有として占有管理していたこと、取引面では普通人より能力が優れ取引の相手方は亡林と折衝し同人をその当事者と考えていたことが認められ、これに反する証人中村とみの証言(被告中村の訴訟受継前)及び被告中村法定代理人中村とみ尋問の結果は前示諸証拠と対比するときは、にわかにこれを信用することができず、右認定を覆すに足りる証拠はない。従って右の諸事情からすれば、亡林が実質的にも別紙第二目録記載の物件を取得していたものと推認される。

三、次に、被告頼ら同中村は亡林、原告間の同棲生活は単なる私通関係であると主張しいわゆる準婚関係であることを否認するのでこの点について判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、

原告は、昭和三四年一一月初頃亡林の後妻を世話するため訴外木内光夫に連れられて同人方に下検分に行ったこと、同月一九日息子の転職に伴い所用のため上京し、昼食をとるため亡林の経営する飲食店に偶々立ち寄った際、亡林から同人には先妻である被告頼三淑と中村とみがあったが被告頼三淑は終戦後韓国に帰り十数年以上音信不通にして生死不明で亡林と被告頼とはただ戸籍上の夫婦であって事実上離婚の状態にあり、また中村とみとの間には被告京子を儲けたが同人は亡林の許を逃れ去り行方不明の状況にあって目下独身生活を送っており、もしあなたと結婚できなければ自殺すると申向けて執拗に婚姻を懇請されたこと原告は亡林の熱意にほだされ同人が独身であると信じて同月下旬から婚姻の意思をもって同人と同棲生活をなすに至ったこと、亡林もできれば原告といわゆる婿養子縁組婚姻をして日本国籍を取得したいと考え、慣行的な儀式として町の有力者等を呼び昭和三五年三月二〇日原告との結婚披露を盛大に行ない両人は夫婦として同居し互に協力して前記飲食店の経営にあたっていたことが認められ、≪証拠判断省略≫他に右認定を覆すにたりる証拠はない。

以上認定の事実によれば原告と亡林との同棲生活は、重婚的事実婚ではあるが、単なる私通関係でなく、法律上保護されるに値する準婚関係にあったものとみなすべきである。

しかして両当事者の地位が対等と見るべき準婚関係の効力については、法例第一四条により夫たるべき者の本国法のみを適用すべきものとする理由がないから同法第二二条により当事者双方の本国法の認める範囲内においてのみその効力を生ずるものと解するを妥当とする。ところで大韓民国にあいても、当事者間に婚姻の意思の合致があり、正式の夫婦として認められた公然性ある事実婚については、わが国の内縁関係法と同様、たとえ、重婚的事実婚であっても、戸籍上の配偶者との間には既に夫婦共同生活の実体が存在しなくなっていたときは、善意の当事者または第三者保護のため準婚関係にありとして法律上保護すべきものと取扱われている。

四、よって更に、別紙第二目録記載の物件につき原告主張のごとく贈与がなされ、その後右物件が返還され、亡林がこれを売却して別紙第一目録記載の物件を原告主張の頃買受けたかどうかにつき判断する。

≪証拠省略≫の亡林名下の印影が亡林の印章により顕出されたものであることは当事者間に争がなく≪証拠省略≫を総合して勘案すれば

原告は亡林から昭和三四年一二月一八日書面によって別紙第二目録記載の土地、家屋の贈与を受け、亡林の協力を得て昭和三五年五月九日右不動産につき贈与による所有権移転登記を取得するに至ったこと、その後、同年七月頃に至り亡林は先に原告の歓心を買うために結婚に際し贈与した右の物件が惜しくなり、原告に対し何かにつけ文句を言ったり乱暴し、その頃先妻の中村とみを見つけて原告のいる家に連れ戻して同居するに至ったので原告は苦痛に堪えられず、宇都宮市三条町の実家に帰ったが、亡林が自己の不当な仕打を陳謝し繰返し電報にて帰来を促して来たので訴外木内光夫と相談の結果、原告主張の(四)の(イ)ないし(ニ)に示した条件で円満解決を図り、その結果原告は前記物件を亡林に返還することとなり、右物件の権利証、印鑑証明書、実印、及び委任状を亡林の話合いの下に訴外荻原要吉に預けたが、税金等の関係から亡林は移転登記をそのままにしていたこと、その後税務署から公売通知があり、滞納税金や取引先の買掛代金債務の支払のため亡林は昭和三五年一二月一〇日頃原告の同意のうえ訴外石井弘一郎に右不動産を代金四五〇万円で売却し、右代金のうちから金二〇三万円を支出して同月一六日亡林の所有名義として別紙第一目録記載の土地を買受けたことが認められ、≪証拠判断省略≫他にこれを覆すに足りる証拠はない。

五、(一) 被告頼ら同中村は、昭和三五年一〇月一七日付公正証書による契約は、亡林と原告とが夫婦であることが前提となっているが、その前提を欠くから右契約は無効であると主張するのであるが、既に理由第三項において認定したとおり原告、亡林の同棲生活は右当事者双方のため法律上保護に値する準婚関係に該当したものであるから被告らの右主張は採用に値しない。

(二) 被告頼ら同中村は、亡林が慢性酒精中毒患者で精神異常にして意思無能力者であり且つ同人が文盲であることに乗じてなされた原告との前記契約は効力がない旨主張し、右の主張に副う≪証拠省略≫は≪証拠省略≫に照らしたやすく信用できず、≪証拠省略≫によるも亡林は慢性酒精中毒兼精神病質にて昭和三三年四月二四日より同年一〇月三一日まで及び同年一二月六日より昭和三四年四月二四日までの二回にわたり東京武蔵野病院に入院し、第一回入院時の昭和三三年八月二二日の同人の容体は慢性酒精中毒による智能の低下を来し、妄想的偏執的解釈を行う器質的な変化を生じた状態にあったこと、第二回入院時の昭和三四年一月頃再入院に対する憤怒による攻撃的状態を鎮静するため一回電気衝撃療法を行ったところ、拒否的な状態になったこと、及び亡林に対して具体的な智能検査をした記録がなく、患者の行為については程度によって相違するため判然しないことを認め得るにすぎず、他に亡林が行為の性質を全く理解する能力を持たなかったこと及び相手方である原告が亡林のかかる精神異常を知っていたことを認めるにたりる証拠はなく、却って≪証拠省略≫を総合すると、亡林は前記東京武蔵野病院から第二回目の退院後においてその経営する飲食店に関する取引に対する応待は勿論金融の調達、税金面の対策等については自らその衝に当り不動産取引においても相手方は亡林を普通人として待遇し、精神異常でないかとの疑念を抱かせることは認められなかったこと、もっとも時折、飲酒酩酊しては原告に対して商売が下手だと非難して暴力を振いあるいは異常なことを口走ることがあったが友人知人の接待他人との交際は円滑柔軟でむしろ社交性に富んでいたこと、文字は書くことは充分でないが簡単なものは大抵読めたことがそれぞれ認められる。

右認定したところから推察すれば、亡林が慢性酒精中毒により常人より知能が幾分低減していたとしても取引能力を欠如するに至っていたとみるのは相当でないというべきである。従って、原告が前記契約をなすに当って亡林の意思能力が全くないか著るしく減少しており、それに乗じてなした無効のものであるとの被告の主張は理由がないといわねばならない。

(三) 被告頼らは前記契約は錯誤に基き無効であると主張するが、既に理由第三、第四項において認定してきたところの原告が亡林と同居して夫婦生活を行うに至った事情、並びに亡林が原告に別紙第二目録記載の物件を贈与するに至った経緯及び原告がこれを亡林に返還した経過に徴するときは被告頼らの右主張は全く理由がないから、その主張自体失当というほかない。

六、そこで、原告主張の(四)の(ロ)(前記契約第二条)に掲げる要件を具備しているかを判断する。

まず、「離婚」の点について判断するに、≪証拠省略≫によれば、亡林は病気療養のため一ヶ月ぐらい宇都宮市岩曽三九九番地訴外半田武一方に滞在し自己の経営する飲食店を閉鎖していたのであるが、昭和三六年八月三日、四日と再開したところ暫く休業していたため客足が少く売上金が少なかったところへ先妻中村とみと亡林との間に出生した被告京子が突然亡林の家に訪問してくるや、右亡林は「原告は商売が下手だから客が来ない。離婚しよう」と殴打し、原告がこれにより夕方になっても知らないで横臥することになり、夜一〇時過お客が少くなってから漸く起き上りその日の集計を出そうとしたが八千五百円の勘定ができないでいると、亡林から「そのくらいの金が数えきれないで商売できるか」といって再度頭部を殴打され頭部打撲傷脳震盪兼頭蓋内圧抗進症の全治二週間を要する傷害を負ったこと、その直後右中村とみがまたも亡林のもとに帰り来ったので同人との同居生活も不能となったのみならず亡林に離婚を強いられたので已むなくこれを承諾し爾後同人と別居し事実上離婚するに至ったことが認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。

また、原告は亡林が原告に対し「全財産」を贈与する旨約したと主張し、被告頼ら同中村は明かにこれを争わないところであるが、仮に原告主張の(四)の(イ)(前記契約第一条)をうけて、同一財産を言うものと解しても、亡林が原告に贈与をなすに至った経緯及び前記契約の趣旨に加えて理由第四項において認定したごとく別紙第一目録記載の物件は同第二目録記載の物件の化体物であって同目録記載の物件は別紙第一目録記載の物件と価値的に同一性をなお保有していると見るべきである。

七、以上説示したところにより亡林は原告に対し昭和三五年一〇月一七日付契約に基き同年一二月一六日所有権を取得した別紙第一目録記載の土地につき所有権移転登記手続をなすべき義務があり、被告らは相続人として昭和三六年一〇月二〇日亡林の死亡によりその権利義務を承継したことは当事者間に争いがないから原告の被告らに対する本訴請求はすべて理由があるからこれを認容すべきである。

よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石原辰次郎)

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